頭の中を整理してみる

今日は日曜日。

基本的に仕事をお休みの日にしています。

そして、自分の仕事について棚卸しをしたり、

人生について俯瞰してみたりする時間を設けています。

 

最近は精神的に不安定なことが多く、

自分自身があまり自分のことが分かっていないような気がします。

日々繰り返される、仕事の業務は手が止まらないように

自分を鼓舞し続けていくことができていますが、

内心、その信念というのは小さな灯となっています。

 

理由について振り返りをしてみると、

三つに分けられます。

まず一つ。コミュニケーション不足。

二つ。依存できるものが足りない。

そして三つ。ある種の焦り。

 

一つずつ分析していきます。

コミュニケーションについては、

仕方がない部分もあるかもしれません。

なぜなら人と接する機会が極小だからです。

 

家族と一緒に住んでいるとはいえ、

一日の大部分はパソコンの前で過ごします。

そして父も母も仕事やお出かけをしていることが多いので、

私は一戸建ての家に一人っきりで過ごす時間が長いのです。

やはり自分自身の中で溜まっていく感情があるものです。

そういった感情を吐き出す先が見当たりません。

(だからこうしてブログで吐き出したくなるのだと思います)

 

しかし、本来ブログというものは情報提供。

読者にとって必要な情報を届ける役割があるものです。

そう考えると、これはブログというよりは日記という感じでしょうか。

 

日々感じたり、思ったりしていることを書き綴る。

もちろんこれでは、収益には繋がらないのですが・・・。

文章をインターネットに書く、ということについては

慣れることができるかもしれません。(ポジティブに)

 

人と対話を重ねるのが最も効率的で効果的だと思うので、

家族と話す機会をもっと活用してみたら良いのかもしれません。

朝食や夕食は基本的に一緒に過ごしているものですから。

 

いったい、皆さんはどんなお話をされているのでしょうか・・・。

人様の食卓の会話というのは想像がつかないものですね。

 

二つ目は、依存できるものが少ないということです。

依存というと薬物とか人とか、あまりイメージが良くないかもしれません。

しかし、人間は元来何かが無ければ生きていけないものですので、

常に依存している存在だと私は思っています。

そして、社会生活を送る中で会社や家族、そしてお金、時間など、

様々なものと依存し合いながら生きているものです。

 

そして、依存するものが多ければ多いほど、

ある意味それは安定している状態になるといえます。

配偶者がいれば一つの支え柱となってもらえています。

それは金銭的な面だけではなく精神的な面でも、です。

結婚すると男女はやはり似てくると言われていますが、

こうした精神的な結びつきからくるものだと思われます。

もちろん、それが習慣となって現れますし、

相手がしていることを真似る性質が人間にはありますので、

私たちはどんどん、似通ってくるのだということです。

 

考え方も、クセも、行動も、話し方も。

不思議なものです。

 

そうした依存するものがあまり私にはありません。

仕事は一人でしていますから、誰かとチームワークをすることもない。

私の場合は苦手なことが判明したので、

こうして一人で仕事する道を選ぶことにしたのですが。

 

その分、自分の思考を統一させることができれば、

かなり自由が効く生き方ではあります。

もし幸せの次に自由を求めるのであれば、

一人で仕事をするという生き方は理に適っていると思います。

もちろん、チームワークや家族というのは本当に幸せなことなので、

こうして社会活動として続いているものだと思いますし、

それ自体へのあこがれは私にはあります。

自分には向いていないため責任が発生する仕事としては、

あまり就かない方がいいだろうという持論です。

 

10年ほど前から、自分の意思の力に頼って

依存せずに生きていくことを試みています。

具体的には紙に目標を書き、持っておくということです。

 

もし迷ったことがあれば、この目標に立ち戻り、

自分のやるべきことは何か、ということを問いかけます。

 

もちろん、結果が出ています。

紙に書いた目標は叶っていますし、

自分には合っている方法だと感じることが多いです。

 

しかし、やはり深遠な目標・・・例えば人生のミッションのような・・

その類の事柄に関しては、いまだに自信が持てない部分があります。

日々、ミッションというのは変わっていくものです。

恐らく、深まっていく、という表現のほうが正しいのでしょうか。

自分の世界への見方が大きく転換することを

パラダイムが変わる、と七つの習慣では表現されています。

新しいパラダイムに変わる瞬間、一気に自分の中で、

ミッションの言語が置き換わっていくことがあります。

 

私の場合は、20代は自由と経済でした。

とにかく、自由になりたかった。

だから自由になるためにはどうすればいいのか、

そのためにはどんな仕事に就けばいいのか、

どれぐらいお金を持っていればいいのか。

稼ぐということはどういうことなのか。

 

そういうことをすごく考えていて、

実質それが今に叶っているし、

叶えきれていないこともたくさんあります。

叶えるためにはまだ数年先になりそうな目標です。

 

しかし、離婚を経験し、20代は挫折したり、迷惑をかけたり、

という場面が非常に多かったことを反省して、

あまり自分自身が幸せではなかったこと、

また周りを不幸にしてしまったことを痛感しました。

 

だからこそ30歳を迎えようとしている今、

私は人生のミッションに 幸せ という言葉を置きました。

自由というのは自分の個人的なことではないかと。

しかし幸せというものは不思議なもので、

自分自身だけではなく周囲も関係することが多いのです。

 

もちろん、一人でも幸せを感じることはできます。

子どものころはよく一人で自然と戯れて遊んでいました。

こういうだけでも幸せを感じることがたくさんできていました。

悩みがなかったり、直面する問題がなかったりするからかもしれません。

 

しかし、自由というのはやはりどこまでいっても自分の問題。

個人レベルの自己実現ではないかと感じています。

マズローの欲求でいえば成長の部分。成長すれば自由になれます。

そして自由になれば責任も伴うし、責任があることは貢献が伴っていきます。

その先には当然、幸せが待っていると思うのです。

 

いかにして幸せというものに身を預けることができるか。

いや、そういうものでもないかもしれません。

幸せというものが一体何なのか、それすら考えていなかったのですから。

この30代を迎える前から、幸せというものをもっと具体的にしなければいけません。

30代終わりを迎えた際に、具体的な幸せを叶えるために。

 

最後は焦りです。

 

自分自身の成長スピードや収入アップについて、

本当に目標に達成するのかという疑問です。

もちろん、初めてトライすることなので分からないものです。

ネットビジネスというものはすでに5年以上前から知っていて、

興味は持っていました。

しかし自分が本当に飛び込むことになったのは、

まだまだこの半年くらい。

それまで怪しいものだったり、悪いものだったり、

そんなイメージを持ってしまっていたので余計です。

しかし、私の場合は、一度すごく関心を持ってしまうと、

やらずにはいられない性分のようなのです。

(小説にしろ、芸術にしろ、ネットビジネス、特にダイレクトレスポンスマーケティング

すべては、なんとなく自分が挑戦してみたい、やってみたい、と感じたこと。

焦りはないのです。そういうことに関しては。

自分自身の自己実現につながるものをこれからも追い続けていきます。

ついついお金や性欲などに踊らされることが多いものです。

そういった余計な誘惑をはねのけ、

自分の心が いいね と思えているものに挑戦していきます。