幸せにつながる成功

これまで生活を続けてきて、少しずつ自分の中で習慣が生まれてきた。

良い習慣もあれば悪い習慣もある。

ただひとつ、いえることは、棚卸しをしなければ気づかないということだ。

まるでバックスペースキーを本来の小指でなく薬指で押していたように。

そうやって考えると、自分が無意識に行っていることをいかに気づくか?

 

とても大切なことだと思う。

 

さて、朝から晩までいったい何をしているのだろうか?

時間を1440分毎日、預かっているわけだが

どうやって活用しているのか?

 

結局のところ、人生はこの1440分ですべて決まってしまうのだから。

だれもが。

 

人生において大切なこと、

それは今の私にとっては、仕事ということになるだろう。

今後の人生の基盤になるお金を生み出すためだ。

 

しかし、ただお金を欲しいと思う気持ちは少しずつ薄れてしまっている。

昔に比べると欲しいものが少なくなり、むしろ物は持ちたくない。

まあ、猫は買いたいし、海外旅行にはいきたい。

それに、きれいな髪型になるためのお金も欲しいのだけれど。

また、コンタクトレンズを目に埋め込む手術も。

 

そうやって考えると欲しいものはまだまだあるのだが、

結局のところ必要がないものでもある。

つまり、なければなくてもいいものなのだ。

そういうものに対して、私はなかなか億劫になってしまっている。

ただ子どもの頃のように欲しい欲しいで動けるというのは幸せなことだ。

ゲームがほしい、プラモデルがほしい。

そういう欲求が前に進む原動力だった。

 

確かに今は千石撫子のフィギュアが欲しいが、

そういうものは数年経つと飽きてしまうのだろうか・・・。

とか。

いろいろ考えてしまうと、結局手が動かなくなってしまう。

もったいないものだ。

 

動物のぬいぐるみに囲まれていたいという夢も湧いてきたので、

そういうものは叶えてもいいかもしれない。

ビジョンボードつくろ。

 

そして、、結局のところビジョンを叶えるためには

行動と、そして優先順位によって決まるのだろう。

優先順位もすでに行動なのだろうから

やはり行動、、、時間を何に使ったのか?

という一点に集中してしまえばいい。

 

仕事に時間を充てたい・・・しかし、最近はあまり成果が出ていない。

これは、心技体が怠っているからではないか?

という考えがでた。

 

私の中では、何かがうまくいっていないときは

ピラミッドの原型が崩れているかどうかを判断するのが良いと考えている。

それは、

 

  金

仕事 プライベート

心 体 頭

 

である。

 

金がない、という状況が生まれているときには

仕事がうまくいっていない、

もしくはプライベートがうまくいっていないから

結果として仕事にも悪影響が出ている。

逆もまたしかり。

 

そして、仕事やプライベートがうまくいっていないとき、

それは心や体、そして技能スキルといった頭の部分が

うまく働いていないからだということ。

 

このバランスでしか結果というものは生まれないし、

結果はこのバランスから生じる。

 

そうやって考えると、

今自分に何が足りていないか明確になる。

 

お金を追ってはいけないというのが格言だが、

仕事の行動をちゃんと追っていればお金はついてくるので良い。

しかし、最終的な着地がお金であることは大切なことである。

お金にならないことをいつまでもやってしまっていても

お金持ちになりたいのであれば全く意味がないのだから。

 

貢献にフォーカスするのは大切だが、

本質を間違えてはいけない。

そしてお金になっていないということは

貢献が足りていないという点もある。

 

そのあたりは自分でどんどん見直しながら、

自分自身のバランスを整えていこう。

 

私の場合は、超長期的な目標として、

長生きするというものがある。

 

私は125歳まで生きようと25歳のときに決めた。

あと100年は生きたい、と。もちろん健康的に。

 

そういう考えに至ったのは、

時間を無駄にするのがもったいないからだ。

寿命を縮めることをするということは、

将来の時間をなくすということだ。

時間を消耗しているということと等しい。

タバコを吸えば寿命が縮む。

もしかすると、

吸っている時間+寿命が縮む

合わせると一本で10分くらいは時間を消耗しているのではないか。

 

そうすると一日3本で30分だ。

末恐ろしい。

 

私は幸せを信条にして生きている。

どうしたら幸せに生きていけるのか。

どうしたら成功のパラダイムに落ちないかどうか。

私の中では成功というものは、形あるものにすがっている状態だ。

社会からどう見られるか、私はこんなものを持っていたい、

他人からどう思われたいか、また自分はこんな夢を達成したい。

 

成功というものは現実化する中にある一つの形である。

その瞬間を思い描いて走るのはとてもすがすがしいことで、

意義のあることだと思う。

しかし、成功してもみんながみんな成功するわけではない。

例えば世界が平和になるということと、

みんなが成功するというのは等しいことにはならないだろう。

なぜなら、ひとつしかないものを取り合うことになるとすれば、

それはみんなが同じ思い描いた成功にはならないからである。

つねに成功というものは、競争と隣り合わせなのである。

一番というものは一つしかないのだから。

もちろん、それなら一番を欲しい人の数だけ作るというアイデアもある。

そうすれば平和だろう。

新しい考え方だ。これは平和的な幸せなアイデアである。

成功という概念は、競争と隣り合わせになる。

しかし、もしかするとそのほうが安定しているのかもしれない。

幸せという感情は、現実的には形になるものではない。

ありきたりの幸せというものはある。

例えば、結婚とか、大企業への就職とか、好きな人と付き合えたとか。

そういうステレオタイプが誰もが当てはまるわけではない。

自分の幸せというのは各人それぞれ違うものだし、

また自分次第でどんなことでも幸せになるのだと思う。

現に、幸せを感じるときというのが、

人がいなければ幸せにはなれないという考えを持っていたが、

一人でいるときも幸せを感じることができる境地に立つことがある。

そう考えると、幸せというものは一体何なんだろうと。

 

成功の先に幸せがあると考えるのがいいのかもしれない。

私の場合は、人とは違うというのが成功の定義である。

ように思われる。最近は特に。

 

変なのが好きなのだろう。

しかし、ただ変なだけでは本当に終わってしまう。

だからこそ、変な人だけどすごいというポジションを取りたいのだろう。

作家になりたいのもお金持ちになりたいのもトップをとりたい?というのは

かなりいがいがしいところではあるけれども。

マッタリ、ゆるーくやりたいというのが本音である。

下手に目立ってしまうと自由がなくなるし、

だからといってあまりにも下位に存在していると自由ではない。

かなり不自由である。

そんないい塩梅を探しているのだろう。

その中で、変なレッテルを貼られても大丈夫な位置に私は落ち着くのだろう。

そのためにも、大事なことを続けなければいけない。

 

投資はやりたいのだろうか。

ただ、考えるのはとても楽しいからやめたくない。

自分の人生の先読みとか、時代の先読みとか。

それを数字で当てることによって、ほかの人にほらみたことかと。

そういう遊び心で投資をしたいのかもしれない

 

まあ、お金になると人間本気になるというのもある

楽しいからやるのかもしれない。

 

幸せにつながっている成功を追うというのが

大切だということが分かっただけでも

今回文章を打っていて意義があるように思われる。

 

幸せにつながる成功