自由への扉を開けるには?

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今日は一日、自分の思い通りにはいかなかった。

自分の意識を保つことができず、気分という波に乗っている。

 

どうして、こんな気分というものがあるのだろうか。

自分でもよく分からないが、うつ病を患ってからというものの

自分の中の感情がうまく操れなくなっている気がする。

 

昔からこういう性格だったのだろうか。

本質的には人間は変わらないだろうと思っているけれど、

感情というものを操ることができなかった覚えはない。

 

勉強に関しても、やるべきことはやるという態度だった。

やらなければいけない、やることが当たり前だと思っていた。

しかし、今の自分にとってはやらなければいけないことは、ない。

 

そういう自由というものを手にしたうえで、

自分のやりたいことを貫くというのはとても難しいのかもしれない。

 

特に、僕の場合はほとんどを一人で行う立場にいるのだから、

余計に自分自身で自分を律するしかない。

学校のように与えられた課題をただこなせばいいわけではない。

課題すらも自分で設定しなければいけないし、

そもそも何もかもが手探りの中で戦わなければいけない。

 

人生の意味だって、本当にあるとは思えないのだから。

そういう中で、人生の意味を深く、深く感じ取るのも必要だ。

 

これは、生き方の問題なのだろう。

サラリーマンを続けていれば、こうした悩みは生まれてこない。

自分自身で自分が課題を設定していると思い込めば、

自由も感じるだろうし、ある程度の幸せもある。

 

いや、むしろ身を預ける先があるということは、

幸せなことなのかもしれない。

 

結婚だって、そう。身を預けるというのは幸せなことだ。

 

ただ私は、そうした生き方からは自分が外れたのだ。

自由を選んでいる、といっても過言ではないだろう。

 

自由には責任が伴い、責任とは貢献することだ。

自立した状態を保てなければ、自由は保障されない。

 

自分の使命というものをまだ、理解したわけではないけれど

もともと自分の中にあるものだとか、

自分で決めるものだとか、

自分で見つけるものだとか、いろいろな仮説があるけれど、

まずは決めなければいけない。

それが自立というものだから。

自分自身でつかみ取らなければ、つかめるものもつかめない。

 

どんな物事にも、自分の意思を持って執り行う。

その繰り返しの中で、きっと見つかるものなのだから。

 

大好きなことをやってみよう。

そうでなければ、続けることなんてできないのだから。