プロフィール作成2 出会い~起業

“自由”というものを目指してみようと模索し始めてみたものはいいものの、
自分自身がどうすれば自由になれるのかはさっぱり分かりませんでした。
 
なぜなら、僕は普通のサラリーマン家庭に生まれ育った人だからです。
まあ、いちおう母方のおばあちゃんは自営業で酒屋さんをやっていたので、
なんとなくサラリーマン以外の生き方も知ってはいました。
(よく小さかった頃におばあちゃんのお店へ遊びにいき、お菓子をもらったものです)
 
とはいえ大学生ながらに、ネットワークビジネスというものに対しての抵抗感のようなものを受け取ってしまっていました。
マルチレベルマーケティングという仕組が、どうしてもネズミ講のようなものだなあ~という印象を受けたので)
 
しかし、確かに職場や給料といったものに縛られない、自分の思い通りの人生を送れていたのは事実でした。
そういった人生を送っている人はいるし、確かにそういう方法は存在している、ということは、
僕にとっては明るい目標となったし、人生における一つの転機になったのは事実でした。
 
その後、僕は立命館大学の膨大な貯蔵量の図書館に足しげく通いながら、
自己啓発のビジネス本にどんどんハマっていくようになりました。
 
もっとも僕に影響を与えてくれた本は、思考は現実化するという本でした。
ナポレオン・ヒルという方が書いた本なのですが、僕の人生を一変させたのです。
(影響を受けやすい)
 
この本自体は、図書館ではなく同じ授業を取っていた友人から教えてもらいました。
類は友を呼ぶというのか、友人の家に遊びに行ったときに、
本棚は自己啓発系の書物で満載だったのです。笑
 
そのうちの一冊を貸してくれたのが、この思考は現実化するでした。
その本には、自分の思い通りの人生を送るための方法が事細かに記されていました。
そしてそのことを『成功』と呼び、成し遂げた人のことを『成功者』と呼んでいました。
 
そうか!と僕の頭の中ではビッグバンが起こりました。
今までは自分の人生というものに対して、まったく真剣に考えていなかったことに気づいたのです。
要するに、親の言うとおりに大学進学を決め、社会の言う通りにそのまま就職していくつもりだったのです。
(そんなことは無意識に、当たり前のことだと思っていました)
 
自分の人生を自由に決めることができる、ということに確信を持つことができたのです。
そして、人生の中で意義ある目標を設定して、計画的に行動を続ければ達成できる、と。
 
確かに大学入試で同じプロセスを辿っていたはずなのですが、
まさか人生でも適応できるものだとは夢にも思っていませんでした。
誰もが何かに向かって達成を試みたことはあると思いますが、
まさにそれの応用なので誰にでも挑戦できることです。
 
そして、自由を手に入れる価値ある目標とはいったい何なのか?
ということを知ることができたのが
・金持ち父さん貧乏父さん
ユダヤ人大富豪の教え
という2冊の本を読んだときでした。
 
偶然にも金持ち父さん貧乏父さんは実家の本棚で見つけました。
また、ユダヤ人大富豪の教えは学校の図書館で貯蔵されているのを見つけました。
(あまりにも感動して、著者・本多健の通信教育に大学生ながら何十万というお金を支払おうとしました)
 
金持ち父さん貧乏父さんも、ユダヤ人大富豪の教えも、ベストセラーになったほどの書籍ですので、
知っている人も多いかと思います。
自由になりたくてまだ読んだことがない人は、必読です。
大学生の頃から自己啓発と呼ばれるジャンルの本は何百冊と本を読んできていますが、
自由人になるためには本質的にこの2冊で事足りるのではないかと思います。
(ナポレオンヒルはもう少し広い範囲での意味合い、 成功 というものを取り上げている本です)
 
この二冊の本を読むと、すでにどんな職業に就くかどうかによって、
自由に自分の人生を生きることができるのか、
それとも不自由で嫌々ながらに仕事に行かなければならない人生を生きるのか、
決まってしまうということでした。
 
僕の家庭はどちらかといえば、
この不自由な生き方という人生を選んでしまっていたようです。
(大好きだったおばあちゃんも含めて)
 
つまり、サラリーマンや自営業という道を歩むと決めた瞬間から、
時間やお金、場所、そして場合によっては精神的な自由というものを奪われてしまうのです。
僕にとっては、どれだけサラリーマンの生き方で年収を上げていっても意味がないことに気づいてしまいました。
 
コンサルタントになるのか、医者になるのか、それとも弁護士になるのか。
そういったことはもはや自由になるためには無関係だったということです。
確かに、経済的な面では自由になるかもしれません。
年収が3000万円あれば、毎月手取りで100万円ほどのお金を手にすることができるでしょう。
好きな服だって買えるし、好きなお店で食事を食べることもできるでしょう。
 
しかし、以前私がお会いしたOさんのように、
「明日、友達とロサンゼルスに行くのよ~」
というような生活ができるとは想像しがたいものでした。
 
なぜなら、急には仕事が休めないからです。
アメリカに行こうと思えば、飛行機に乗るだけで1日かかってしまいます。
帰りも1日。そうなれば当然、土日の休みだけで行くことはできないのです。
 
お金や時間の両方が自由になるためには、
もう一方の道・・・金持ち父さんの道を歩むしかありませんでした。
きっと、その道がOさんのような自由な生き方に繋がっていると信じて。
 
また、ユダヤ人大富豪の教えからは、人間関係の大切さを教えてもらいました。
多くの場合、そうした自由な生き方をしている人たちは、
従業員やビジネスパートナーに支えてもらって自由を得ている、
ということが書いてあったからです。
 
あらためて、人を大切にすることを心に決めました。
 
私はそれから、人間関係をより深く構築することの意義を見出し、
交流会を主催することにしました。
 
これまで大学生活を2年以上送り、多くの人と出会ってきました。
携帯の連絡先を眺めてみると、なんと高校生の頃から1000件以上増えていたのです。
つまり、毎日1人以上の人と出会っていたことになります。
これはすごいことだと思いました。
 
同時に、1000件以上増えていた連絡先のうち、
今も連絡を取り合っているような友人関係は3%にも満たなかったのです。
そう、人間関係というものはすごく儚いものだと憂いを感じました。
 
私は、もう一度この出会ってきた人たちと出会える場所を創りたいと思いましたし、
再会することが出来る場を創りたいと願いました。
そして、後輩や他の人たちには私のような憂いを感じてほしくない、
という熱い想いもこみ上げてきました。
できることなら自分の交流会という場においては、
他の僕が参加してきた交流会とは違って出会いの場でなく再会の場にしよう、と。
そのためには、より素晴らしいレベルの交流会を開く必要があると思いました。
 
そんなときに出会った友人たちが、私が代表を務めた『ティラミス会』という交流会の幹部です。
彼らとの出会いは、京都の居酒屋で集まった起業家飲み会でした。
今でこそ、若手起業家やベンチャー経営者という言葉が広まっていますが、
当時はそういった言葉は流行っている言葉ではありませんでした。
そのため、偶然にも同じ志やマインドで生きている人と出会えたのは奇跡と言えるでしょう。
 
その日、私たちは4人でお酒を飲みながら語り明かしたのです。
そのとき、熱中しすぎて時間が過ぎるのを忘れてしまったのを覚えています。
 
そして、飲み会の最後にデザートのティラミスが出てきて口に運んだとき、
ピタッと時間が止まったような瞬間が訪れました。
「うまい」
今まで面白いほど熱中していた白熱会話が面白いほど見事に止まり、
このティラミスという食べ物に支配されてしまったのです、場の空気が。
 
「これはティラミス会やー!」
 
とメンバーの一人、のちに副代表になる幹部なのですが、
この白熱するほどの会話が成り立つ会合をティラミス会と名付けたのです。
 
ティラミス会はすぐにmixiでコミュニティが設立され、
すぐに100名規模で集めてしまおうという流れがその晩に起こったのです。
 
僕はこのとき、自由への階段を昇り始めているということも、
これを起業と呼ぶということすらも、全く理解できていませんでした。