プロフィール作成

自分のプロフィールをつくるために、

これまでの経歴をまとめてみます。

 

雑記ブログとして取り扱いしているので、

一貫させるテーマは人生哲学、自己啓発

 

私はごく平凡な町で、ごく平凡な公立学校を経て、

育ってきました。

 

小学校は家の近くにある普通の学校でした。

低学年の頃はよかったのですが、高学年に上がるにつれて

先生の強さもどんどん上がっていきました。

最高学年にもなると、先生が恐ろしく、

授業中は教室中がシーンとしている学校でした。

(まれに先生の説教で1時限が終わってしまうイベントが起こります)

 

中学校に上がると、そんな環境がまったく忘れ去られたように、

自由な校風の学校となりました。

(もちろん、公立中学校です)

となりの小学校の学区と統合されたのですが、

そこは結構やんちゃな子どもの多い学区だったのです。

私たちは先生に頭も上がらなかったくらいなのですが、

そこの子どもたちは逆に先生をハメてしまうほどだったと聞きます。

(トイレ掃除で先生を水浸しにするとかそんな感じです)

 

まじめな私たちとやんちゃな彼らがうまいこと合わさって、

かなり学年全体の空気感は良かったと思います。

いじめとか登校拒否とか、そんな噂は耳にしませんでした。

 

そのときの恩師から、推薦されたとおりに高校を選びました。

私はどちらかというと自由気ままに生きていたいタイプなのですが、

恩師がいうには「決まりの厳しい学校へ行きなさい」とのこと。

思えばこのとき、縛り付けられるような校風の厳しい学校へ行かなければ、

僕の人生はどうなっていたんだろうと少しブルブルと震えます。

 

そうして選んだ高校は、周囲の市区町村の中でもとびきり厳しい学校でしたが、

(愛知県内の普通の公立高校です)

僕は卒業するまでちゃんと授業に向き合うことが出来たためか、

晴れて関西有名私立、立命館大学に入学することができました。

 

立命館大学に選んだ理由は、

経営コンサルタントになろう

という将来の夢があったからです。

 

経営学部を選び、4年間学びましたが、

自分の興味や目的にも適っていたのでとても楽しい生活でした。

 

すごく順調な滑り出しをして人生を満喫していました。

このまま僕は、大きな企業に入って、一生安泰な人生だな、と夢を描いていました。

 

ある、一人の女性と出会うまでは・・・。

 

 

大学に入ってから2年ほど過ぎていき、

学校の単位もほとんど取れている状況になってきました。

週に2~3回ほど学校に行けば充分だったので、

僕は学校外での活動を増やしていくことにしました。

このときは京都に住んでいましたので、

よく淀川の流れる三条大橋で待ち合わせして、

街で買い物したり、飲み会に参加したり・・・。

というごくごく平凡な大学生でした。

 

「ねえ、面白い人いるんだけど会ってみない?」

 

たまたま飲み会に参加したときに知り合った女性(きっと30代半ばくらい)

から後日メールが来て、

あんまりよく分からないまま断る理由も無かったので

 

「いいですよ」

 

と返信をしました。

このとき断っていたら、また恩師のときと同じく、

僕の人生はどうなっていたんだろう・・・と身震いしてしまいます。

 

 

その方のお家というのが、

京都・淀川の上流にありました。

京都は観光名所にもなっている祇園と、

閑静なお店や住宅が立ち並ぶ北山があります。

 

北山のほうに、その方のお家はありました。

門構えはまるで3階建てのお家のようで、

どうやらそれぞれの階では別々の人が住んでいるようでした。

 その方のお家は、2階のフロアすべてなのでした。

 

僕はごく普通の大学生として育ってきましたので、

すごく当たり前のように緊張してしまいました。

お金持ちのお家に入ったことなんて、ほとんどありませんでした。

(一応、実家は持ち家です)

 

僕をお誘いしてくれた女性(Yさん)も一緒だったのですが、

「なんだか緊張するねえ~」

と僕と同じようにそわそわしていました。

何度か来たことがあるようなのですが、

立派な門構えだからついついそうなってしまうんだと思います。

 

チャイムを鳴らすと、セレブなオーラが飛び跳ねている女性(Oさん)が

 

「いらっしゃ~い」

 

みたいな元気な感じで、しかしゆるめな雰囲気で出迎えてくれました。

お肌もつやつやで、もはや美魔女としか言えない存在でした。

 

「どうぞ~~」

 

と中にご案内されたので、私たちはお邪魔させていただきました。

何人かお友達の女性がすでに中にいらしていて、

なんだか不思議な空間だったことを覚えています。

 

私は訳も分からないままだったので、

その空間で流れのまま合わせていきました。

 

するとOさんがなんだかテレビショッピングのような感じで、

洗剤のプロモーションを目の前で始めていたのです・・・!

 

わあ、すごい!よく落ちるなあ~と感心してしまいましたが、

そのときの私はこれが世の中では悪玉菌のように扱われている、

ネットワークビジネスというもの(業界最大手のA社でした)

とは全く知りようにありませんでした。

 

もちろん、僕は大学生だったので、

コンプライアンス上でも勧誘は禁止されているので、

将来の道の一つとしてYさんが連れて来てくれたという話でした。

 

Oさんは私を見るにあたり、

「私からも将来に向けて、投資しなきゃ~」

とかなり好感触を抱いてもらったことを有難く思っています。

 

(その後、あちこちイベントに連れて回ってもらったり、

業界に関する書籍を何冊かいただきました)

 

よくよくついて話を聞くと、

A社ではタイトル制度というものがあり、

全国でもほとんどタイトルを取っている人数が少ない

ダブルダイヤモンドという年収3000万円くらいの方だったと知りました。

 

私はこのとき、金額に驚くことはありませんでしたが、

経営コンサルタントも年収3000万円くらい狙えるので)

もっともびっくりしたのはそのライフスタイルでした。

 

「わたし、明日はサンフランシスコに友達と旅行なのよ~」

 

どうやら急に向こうでの鑑賞チケットが手に入って、

住んでいる上のフロアの友達と一緒に、旅行に出かけるとのことなのです。

 

私はなんて自由なライフスタイルを送っているんだ、この人は。

と驚きました。

サラリーマン家庭に育っていた私は、

仕事をしていれば当然、土日に旅行に行かなければならない、

という固定観念が当たり前のように染みついていたからです。

 

というかそれ以外には方法がないだろうとすら思っていました。

完全に私の中では頭がパニックになってしまい、

ほとんどそのときの考えは覚えていません。(今でも思い出せません)

 

しかしそのとき私の中に残された感情といえば、

「僕もこんな自由な人生を送ってみたい!」

 

という熱い想いだけでした。

 

しまいにはOさんが、

「わたしの夢は、子どもたちが こんな大人になりたい! と言ってくれるような

かっこいい大人になることなのよ~」

 

という話を聞いて、僕の頭と心はついに爆発してしまいました。

 

「どうすればこんな人生を手に入れることができるんだろう・・・。」

ということを真剣に、模索し始めるようになりました。